bar, ob, vn, va, pno
10'
おそらく日本で最も親しまれているといっていい歌集、『小倉百人一首』には、季節を題材にした歌が三十二首収録されている(そのうち半分の十六首が秋の歌であることが、定家の好みをよく表している)。その中から秋、冬、春と連続性のある三首を選び、今回の連作に採用した。
「季節の層」と名付けられたこの連作は、それぞれの季節を「層」によって特徴づけ、季節ごとに独立した楽曲を与えた。ここでいう「層」は、「地層・断層」といった場合に、その断面図として見ることのできるもの、というイメージがもっとも的確だと思われる。すなわち、曲の構成としての断面図=設計図(曲の全体像)として曲ごとに全く別のタイプのものが設定され、それ自体が各曲の性格を体現しているということである。そういったマクロな単位での構成は言うまでもなくミクロな単位にまで影響を及ぼすが、時間の水平軸のみならず、垂直方向の音組織に関してもこういった楽章ごとの特徴づけがなされていることは、付け加えておこう。
三つの曲は、それぞれ下のテクストによるものである(括弧内は百人一首における歌番号と作者の名前である)。この曲においてテクストはただ歌われるものではなく、全曲の構成と時間軸(「層」)を決定するものとしての役割が強い。むしろバリトンはほとんどその原型を歌わない。唯一テクストの原型が見られるのは第三曲のみであるが、ここでも句の入れ替えが行われる。バリトンは決してソリストとしての扱いは受けず、もっぱら器楽と対等に「かさなりをなすものの一つ(広辞苑「層③」)」として進んでいく。
一.八重むぐら しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり(47 恵慶法師)
二.淡路島 かよふ千鳥の鳴く声に
幾夜ねざめぬ 須磨の関守 (78 源兼昌)
三.いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふここのへに にほひぬるかな(61 伊勢大輔)
第一曲
秋の落葉が一枚一枚積み重なっていくように、少しずつ重なっていく各声部の層は段々と密度を増す。その重なりは一つの合流地点を迎えるが、最終的にはノイズのみの寂寞とした場所へと落ち着いてしまう。テクストはもっぱら母音と子音に分離されている。
第二曲
ある比率で幾重にも層をなすように分割されたフラクタルな枠構造に対して纏わりつく複数の声部が、空虚な持続空間を作る。閑散とした冬の冷たい空気の中で歌われるのは、子音をそぎ落とされた母音といくつかの半母音である。
第三曲
「宮中」における桜満開の春となり、ようやく初めてバリトンがはっきりとしたテクストを歌う。短歌に歌われる「いにしえの奈良」と「今日/京」の二つの時間軸が交互に現れ、はじめは「いにしえ」の時間が長かったはずが、だんだんと「今日」へと移っていく。テクストの入れ替えはこの時間軸のうつりかたによるものである。
この作品は、日本歌曲を中心としたプログラムを主として活動する「季(とき)」に献呈され、「季」によって初演される。「季節」というテーマにあえて挑むことになったのも、この団体にふさわしいものを考えた結果である。
(初演時解説文)
初演:
2016.11.22 @東京藝術大学奏楽堂
藤川大晃 (cond) 濵野杜輝 (bar) 石井智章 (ob) 石井智大 (vn) 美間拓海 (va) 柴垣健一 (pno)